星野ひかり

星野ひかりのスピーチ

22歳・経営企画部・インターン

みんな、1日どのくらいスマホ触ってる?実は愛知県の豊明市で「スマホは1日2時間以内」という条例案が出て、めっちゃ話題になってるんです。市長さんは「子どもがスマホを手放せなくなって学校にも行かなくなる」という相談を受けて、あえて踏み込んだらしいんですよね。正直、私自身もTikTokやInstagramを見始めると、あっという間に2時間とか過ぎちゃうんです。気づいたら夜中の2時で「やば、明日起きられない」ってなることもしばしば…。でも、だからといって一律に「2時間以内」と言われると、なんだか窮屈にも感じる。大事なのは“時間の長さ”より“どう使うか”なんじゃないかなって思うんです。SNSは人とつながるツールにもなるし、学びのきっかけにもなる。だからこそ、私たちも「なんとなく使う時間」を減らして、「意味のある時間」を増やす工夫をしてみませんか?
佐藤健太

佐藤健太のスピーチ

24歳・システム部・SE

正直に言うと、僕もエンジニアとしてPCやスマホに1日中触れているので、「スマホは2時間以内」という話を聞いたときに「それ無理でしょ」と思いました。でも記事を読むと、豊明市では子どもがスマホ依存で不登校になったり、親子の会話が減っている現状があるそうです。確かに、テクノロジーには仕組み上の課題もあって、アプリは「もっと見たくなる」ように設計されています。つまり、意志の問題だけじゃなく、仕組みによって依存が強化されているんです。僕も一度、AIの勉強に集中するつもりがYouTubeの自動再生にハマって夜を明かしたことがあります。そのときの焦りは今でも覚えています。大切なのは「時間を減らす」より「仕組みを変える」ことかもしれません。例えば通知を切る、アプリを時間制限する、そうした“小さな設定”が僕らを守るんだと思います。
田中美咲

田中美咲のスピーチ

32歳・人事部・係長

「リスキリングに積極的な企業は日本では8.9%しかない」というデータを見たとき、人材育成の難しさを改めて感じました。今回の豊明市の条例案、「スマホは1日2時間以内」も同じで、子どもの健全な成長を守るために、社会が介入する必要性が出てきているんだと思います。私自身、人事の立場で若手社員を見ていて、スマホに時間を取られすぎている人の集中力やコミュニケーション力に差を感じることがあります。ただし一律に「制限」するだけでは反発も起きます。大切なのは「自分でどう時間を使うか」を考えられるように支援すること。会社の研修でも同じで、「やらされる学び」は続かないんですよね。だからまずは、スマホやSNSの使い方をチームで話し合ってみることから始めるのが良いと思います。
  1. 帝国データバンク「リスキリングに積極的な日本企業はわずか8.9%」
    https://www.tdb.co.jp/report/economic/20241120-reskilling2024/
山田雄一

山田雄一のスピーチ

43歳・経営企画部・課長

「スマホは1日2時間以内」という豊明市の条例案を聞いて、最初は「効果をどう測るんだろう?」と考えました。市長は不登校や親子の断絶といった現場の課題に応えたわけですが、ビジネスの視点で見ると、これは「成果の見える化」が難しい取り組みです。例えば、キリンビールはサプライチェーン最適化で労働時間を75%削減しました。これは数字で成果が示せたからこそ社内外の理解を得られた。一方、スマホ制限は「2時間以内」というルールが成果に直結するとは限りません。ただ、戦略的に考えれば「社会全体でデジタルとの付き合い方を見直す」契機になる可能性があります。企業も同じで、制限ではなく「使い方の質」を高める戦略を考えることが、長期的な成果につながるのではないでしょうか。
  1. キリンビール「サプライチェーン最適化プロジェクト『MJ』」
    https://www.kirinholdings.com/jp/newsroom/release/2022/0930_04.html
鈴木恵子

鈴木恵子のスピーチ

48歳・企画部・部長

豊明市で「スマホは1日2時間以内」という条例案が出たと聞き、私はまず「全国初」という言葉に歴史の節目を感じました。人類は常に新しい道具と出会い、その使い方を模索してきました。たとえばテレビが普及した時代も「子どもが勉強しなくなる」と大騒ぎになりましたが、今では教育や情報の手段として欠かせない存在です。スマホも同じで、便利であると同時に依存のリスクを持っています。歴史の教訓は「新しい技術を排除するのではなく、どう共存するかを考える」こと。私自身も子育て中、ゲーム機をめぐって子どもと何度も口論しましたが、最終的には「一緒に遊ぶ」ことで距離が縮まりました。今回の条例も、単に時間を制限するのではなく、家族や社会で「どう使うか」を話し合うきっかけにできれば意義があると思います。